2007年05月10日 (木)

本日のお届けもの:CHAGE&ASKA「NO DOUBT」

Amazon.co.jp:CHAGE&ASKA / NO DOUBT

ベタでも良いモノは良いのだ。

林間学校での衝撃的な出会い。小学生時分の私にとって「SAY YES」は“初めての音楽”でした。僅かな小遣いを貯めては新譜を買い漁り、湯水の如く音楽を浴びていた日々。間違いなく私の青春の一端はCHAGE&ASKAと共にありました。しかし、徐々に中二的な思考に捕われつつあった当時の私は、強烈なまでに印象付けられた偶像への崇拝故に、僅かなサウンドの変化にも敏感で、更に、彼らを足掛かりにJ-POPや洋楽の世界へ足を踏み入れたことで、皮肉にも世間のチャゲアスに対する“演歌”“ダサイ”といった穿ったレッテルに影響され、心の奥底の見られてはいけないものを見透かされているかの様な、まるで腫れ物にでも触れているかの様な錯覚に陥り、チャゲアスの音楽にナイーブになって行きました。

同時に「RED HILL」以降、ASKAの伸びやかな声量と透明感のある柔らかい声質に陰りが見え始めたと感じた私は、その後の「CODE NAME.2 SISTER MOON」で彼の歌手としての決定的な死を予感しました。彼らの社会性とされていたメロディメーカーとしてのアイデンティティと20年来の歌唱力を失ったかに見えたチャゲアスは、少なくとも当時の私の趣向とは完全に切り離され、この時点で私の中のCHAGE&ASKAには幕が下ろされました。

あれから幾許かの経験値を積んだ私は、この歳では一応大人の皮を被るようになったもので、見栄を張ることも、気取ることも忘れ、自分の感性に正直に“良いモノは良い”と評価し咀嚼出来るだけの消化器官を手に入れたと一丁前に自負していますが、まさか今になって、いや今だからこそと言うべきか、あの時、あの日死んだと思われたチャゲアスの新作に(と言っても、もう8年も前の旧譜ですが)心動かされるとは思いませんでした。

チャゲアス・サウンドというジャンルが確立されている、初セルフ・プロデュース作品。重く丁寧で情感を込めた歌い方、単語一つひとつに深い理由と存在を持つ繊細な詞。リアルで情景の浮かぶ(7)は、チャゲが実際に経験したことなのか、と興味が湧く。

しかし、この「NO DOUBT」は凄いアルバムだ。演歌フォークからの変遷を経て、時代性を取り入れつつ確立された“チャゲアス”ポップスを更に発展させたネクストレベルの胎動、それまでの良くも悪くも青臭い、野暮ったいイメージのあったチャゲアス組のセッションとは思えぬほどサイケデリックなサウンドは、ダークかつノイジーでいながら、聴き心地の良い音圧をもって迫って来ます。派手さはないもののシンプルに洗練された楽曲群、一分の隙も見せないアルバムとしてのまとまり、統一感は見事という他ありません。音のアレンジこそ現代のPOPシーンに歩み寄りを見せているものの、あくまでも売れ線からは外れた頑固な主義主張が感じられる気骨の通った作品。「CODE NAME」シリーズで披露されたコンセプト・アンサンブル指向の音楽性はここに結実され、紛うことなき「NO DOUBT」として完成されていたのです。

「NO DOUBT」は、あの頃の青春のたぎりと、円熟したエナジーを見せ付けてくれます。しかし、己を重く鋭く研ぎすまし、心の葛藤やうねりすら、成熟という名の安定感で押し切って見せてしまうこれは、もはやロックであり、限りなく普遍的。若さを失った代わりに手に入れたのは老獪さであり、ミュージシャンとしての思想性をも集大成させたマスターピースであり、このアルバムは「RED HILL」以降のチャゲアスを代表する名盤と言えるでしょう。また、ASKAの盛衰に伴い、「CODE NAME」以降、チャゲアスとしてはCHAGEの個性が前面に押し出されることが多かった関係で、その延長線上にある「NO DOUBT」はCHAGEの魅力が集大成している感があり、一方で、ASKAも八分のボーカルながら充分に気迫を走らせており、両者のバランスが拮抗していて、そういう意味でも「NO DOUBT」はチャゲアスならではの作品だろうと思います。

1999年当時の邦楽界にあって、これだけ地に足の着いた深みのある作品を一石投じてしまうCHAGE&ASKAは、やっぱりJ-POPの尺度では測れないミュージシャンなんだなぁ。

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