2009年05月24日 (日)

DVD「仮面ライダーディケイド VOL.1」7月21日発売

2009年のスーパーヒーロータイムを疾走する「侍戦隊シンケンジャー」と「仮面ライダーディケイド」のDVD化がスタート。スーパー戦隊シリーズ第33弾となる「侍戦隊シンケンジャー」と、平成仮面ライダー10周年のアニバーサリーを飾る「仮面ライダーディケイド」、第1巻はそれぞれ7月21日発売予定です。

Amazon.co.jp:仮面ライダーディケイド VOL.1

一筆奏上!天下御免の侍戦隊シンケンジャー、いざ参る!

「侍戦隊シンケンジャー」は、リーダーを“殿”と呼称し、配下には多数の黒子を従えるなど、“和”をテーマに時代劇のエッセンスをふんだんに盛り込んだ勧善懲悪ストーリー。遥か昔からこの世とあの世を結ぶ「隙間」から、この世を恐怖に陥れる「外道衆」が襲来。武芸に秀で、不思議な「モヂカラ」を受け継いだ平成の侍・シンケンジャーが「外道衆」に立ち向かいます。ハードでシリアスな世界観とメリハリのあるギャグパートが融合した痛快チャンバラアクションは、近年の特撮ヒーロー作品には欠かせない小林靖子が脚本を手掛けていることでも注目されています。

通りすがりの仮面ライダーだ、覚えておけ

一方、平成仮面ライダー10周年記念作品として制作された「仮面ライダーディケイド」には、平成ライダーシリーズ総決算としての記念イベント的な意味合いが込められています。“10年”を意味する名を持つライダーが「仮面ライダークウガ」から「仮面ライダーキバ」まで続く過去9作品の世界を旅し、歴代ライダーとの夢の共演を果たすお祭り的展開が、観る者を惹き付けて止みません。

───並行して存在する平成ライダーの世界が融合を開始し、崩壊の危機に直面したディケイドの世界。過去の記憶を失っていた門矢士に与えられたミッションは、ライダー達の世界を巡り、世界を崩壊から救うこと。ディケイドには、全ての仮面ライダーを破壊して世界の崩壊を食い止めるという使命が課せられています。

昭和ライダーへのカウンターでありアンチテーゼとして誕生した平成ライダーは、昭和ライダーの泥臭いイメージを逆手に取ることで、新しい仮面ライダーのスタイルを確立しました。ディケイドでも、平成ライダーらしい素っ気ないほどクールな活劇とスタイリッシュな演出は健在。同時に、「仮面ライダー電王」以降、やや鳴りを潜めていた現場感=ライブ感と、映画的なカットを多用した本格感が全面に押し出されています。

ディケイド最大の見所は歴代ライダーとの共演ですが、それぞれのライダーは、オリジナルの設定や出演者とは微妙に異なっています。それぞれが独立した世界観を持つ平成ライダーをパラレルワールドとして設定することで、由来10年の単純な回顧ではなく、区切りの今だからこそ実現出来る現在進行形の新しいドラマを再構築することがこの作品の意義でありテーマとなっています。

スーパーヒーロータイムの当たり年

2009年のスーパーヒーロータイムは、スーツデザインの酷さに反して、内容はといえば大人も楽しめる特撮エンターテイメントに仕上がっており、視聴率も好調。数字に質が伴っている近年稀に見る当たり年です。

ディケイドは毎回がお祭り騒ぎで心が躍りますが、一方のシンケンジャーもこれがなかなかシブい。初回冒頭から世界観が剥き出しで、本編は勿論のこと、オープニング・クリップからサイキックラバーによる主題歌に至るまで、脇を固める小道具のほぼ全てが完璧な仕上がり。ここまで小林脚本にハズレ回はなく、近年では最高の、それどころか平成戦隊史上最高峰の頂さえ狙える傑作戦隊になりそうな予感がします。とはいえ、それも子供目線ではどう理解されているか分からないので(といっても視聴率は健闘していますが)、彼らに人気が出ないからと現在のシリアス路線が軌道修正されないことを祈っています。

オリジナルを必要としない唯一無二のディケイドの世界

他方、そのディケイドも、制作発表当初の杞憂をよそに、お祭り企画の見本の様な内容でよくやっています。

  • 前年のキバが数字面でも収益面でも低調だった為、ローリスクハイリターンの企画が必要だった。
  • クウガの頃に生まれていない子供にもレンタルビデオを借りさせたい。
  • 10年付き合ってきたマニアには復刻グッズを買わせたい。
  • 各オリジナル作品の本編内で未消化だった設定を回収しつつ。
  • ライダー、怪人の着ぐるみを再利用することで制作費をカット。
  • 出演が難しいと思われる役者事情を考慮し、パラレル設定を利用することで、オダギリジョーや要潤、水島ヒロらのギャラをカット。
  • それは同時に原作ファンへの配慮でもあり、マニアに抵抗感を抱かせない為の言い訳として活用。

こういった要素をかいつまむと、お祭り感というよりは採算最優先の番組という感じがしますが、仮面ライダーとしてのスケールメリットを俯瞰することで、ある意味、平成シリーズの中継装置として機能するハブ的役割を盛り込みながら、温故知新を促進させる戦略性を忍ばせている辺り、非常にクレバーに立ち回っている印象です。よくここまで「失敗するはずがない」企画を考えたものだと感心させられます。

それだけに、電王やキバなど特定作品の優遇には気が滅入るところで、例えば、響鬼編を除けばただ一人オリジナルの世界観を踏襲した電王編は、“リ・イマジネーション”を標榜する本作のコンセプトにあってはその破綻に他ならず、ディケイドの物語としては不適格。また、カブト編のクウガ・ペガサスフォームやファイズ・アクセルフォームに見る効果的なカメンライドを考えると、毎回やられる為だけにしゃしゃり出て来るキバの存在意義は一体何なのかと自問してしまう。そこには、作品としての創造性よりも優先するスポンサー事情が見え隠れしており、商業主義的な制約がそれぞれのオリジナル作品の印象を悪化させることに一役買うだけでなく、10年に一度の祭典に水を差しています。

そういった側面も含めて、平成ライダーファンとしてシビアに現状認識を整理してみると、ディケイドスタッフからは原作への愛情こそ感じるものの、あと一歩、決定的な何かが足りない気がしています。例えば、カブトにおける音声シークエンスやゼクターギミックのオミットなどは、客観的に見ればほんの僅かな差であっても、原作ファンにとってはそれが決定的なこだわりの差となるので、尺の都合、制作費の問題、玩具展開との兼ね合いなど諸々の事情はあれど、ディケイドのプロットそのものは筋が良いだけに、この微妙な気配りの足らなさ、こと再現性という点におけるディテールへの妥協感が余計に惜しい。

とはいえ、カブト編を終えて、オールライダー劇場版の全貌も明らかになりつつある今、後半戦に向けてディケイドのドラマがますます楽しみになって来たのは間違いありません。あとは、既に起こってしまった脚本交代劇が本編に悪い影響を及ぼさないことを願いつつ、これ以上の身内のゴタゴタと、制作面での大人の事情が発動しないことを祈るばかり。

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