2009年07月11日 (土)

富士スピードウェイ、F1撤退を正式発表

とりあえず、当面FIAとFOTAのシリーズ分裂は回避され、F1にとって最悪の事態は免れましたが、火種は燻っており、予断を許さない状況です。マニュファクチャラー主導のシリーズが面白くなるかというと正直疑問なので、それを考えると、これまでFIAやバーニー・エクレストンは上手く綱渡りをしていたと思いますが、反面、現代のF1興行において、こうしたキナ臭い政治的な話題が多くを占めることにファンはうんざりしており、現在のマックス・モズレー及びその後継体制主導の元、FOTAが元の鞘に納まったことが果たして正解だったのかどうかは分かりません。

技術競争とスピードの追求、世界最高峰のモータースポーツはやがて400km/hの壁を突破し、21世紀にはサイバーフォーミュラ、F-ZEROの世界が現実のものとなる、そんな妄想さえ許された在りし日のF1。ノスタルジーの世界で語られるF1は、どんな夢も、欲望さえも取り込み、己が進化の糧とするモンスターの如き征服力をもって、誰もが前進することに意味を見出し、原動力としていました。やがて成長の時代が終わりを告げると、軍拡競争の停滞により塞き止められた川の流れはエゴイスティックな利権構造を顕在化させ、パドックの空気を淀ませましたが、過剰な政治的駆け引きのカオスに彩られた現在のF1は、まさにF1の皮を被った或いは別の何か。安全とエコロジーの時代、環境の変化に合わせてエネルギー構造を代替技術にシフトさせて行くことは必要ですが、予算制限、風洞制限、テスト制限、エンジンの開発凍結など、度重なるレギュレーション変更の迷走ぶりも諸々を含めて、カテゴリの進歩に根本的な歯止めを掛けようとする“制限”グランプリの先に世界最高峰の矜持はあるのでしょうか。

例えば、90年代のアメリカ・CARTはある意味でモータースポーツの理想型の一つだったと思いますが、彼我の栄光が崩壊へと突き進んだ歴史をなぞるかの如く、およそレースとは懸け離れた次元で末期的様相を呈しているF1の現状を嘆いてみることは簡単です。ただ、富士スピードウェイの日本グランプリ開催撤退のニュースは、「モータースポーツの衰退を肌で感じる出来事」だとして同列に語ることは出来ません。

富士スピードウェイ、F1撤退を正式発表

トヨタの子会社、富士スピードウェイは7日、F1日本GPの開催から撤退することを正式に発表しました。昨年10月以降の世界的な経済不況に伴う著しい経営環境の悪化と、早急な経済回復の目途が立ちにくい事情などから開催中止を決めたとのこと。

交通アクセスの悪さなど、兼ねてからインフラに対する欠点が指摘されていた富士スピードウェイは、当初の懸念通り、2007年の開催では悪天候に伴うトラブルが頻発したことから、運営に対して不満が噴出しました。これに対して、汚名返上の機会を探らんと採算度外視でアクセスの改善に努め、サーキットを挙げての開催となった翌2008年は、数々の試みにより、運営面では一定の成功を収めたと総括されています。が、それも結局、砂上の楼閣に過ぎなかったのがトヨタのトヨタたる所以。00年に買収され、F1開催の為に200億円を投じて大規模な改修工事を行い、鈴鹿サーキットから連続開催権を奪い取った富士スピードウェイも、1976年~77年の開催同様、僅か2回の興行でF1から撤退することになりました。

曰く、「信頼回復の為にも開催を継続すべきだとの声は社内にもあったが、コスト削減を重視した」というトヨタ。トヨタ全体の赤字額に比べれば、富士スピードウェイの赤字など微々たるものですが、にも拘らずこういった判断が下されるということは、それだけトヨタ社内の反F1派の勢力が勢いを増していることが推測されます。裏読みすれば、恐らくトヨタ的には、「ホンダがいたから鈴鹿ではやりたくなかった」というのが本音。ホンダが居ない今、鈴鹿でやろうが富士でやろうが、国内メディアの注目は必然的に「日本メーカーによる唯一のチーム」であるトヨタに向けられるので、富士開催による国内向けの宣伝効果は大して得られないという判断が働いたのかもしれません。

しかし、これを英断として歓迎すべきか、最初からやるなと卓袱台を返すべきか。買収と改修に伴う費用を考えれば、直ちにサーキットを手離すことはしないでしょうが、結局、失敗したという印象しか残さずにそそくさと撤退してしまう辺りは、如何にもトヨタらしいと言ってしまえばそれまで。金持ちの道楽であるモータースポーツの、腐っても栄華を極めるトップカテゴリに鳴り物入りで乗り込んだはいいが、図体ばかりデカイ割には貧乏臭い立ち振る舞いが誤摩化せず、都合の良い時だけビジネスライクな処世術を持ち出す。現実的と言えば聞こえはいいが、その実、どこまでも近視眼的で、どこまでも薄っぺらい思想に、ヤルノ・トゥルーリのお陰で好感度も三割増といった虚構の企業イメージから、一気に現実に引き戻されました。

そもそも、F1文化を日本に根付かせる為に莫大な投資をして来たのはパイオニアたるホンダ。トヨタの行為は、そんな彼らの顔にも泥を塗る蛮行です。あれだけ日本GPを引っ掻き回して、鈴鹿から開催地を奪い取り、尻馬に乗ってかっさらった挙句、旨みが少ないから撤退する、ではあまりにも印象が悪い。失敗が危惧されていたものを強行し、数年と経たずに撤収ともなれば「いい加減にしろ」くらい言われても当然ですが、トヨタの場合は度重なる前科がある為、モータースポーツファンの憤りは一過性のものではありません。

本来、覚悟や信念など、そういった精神性が名誉を生むスポーツ文化の世界にあって、トヨタの言動はあまりにも稚拙です。元々大したイメージでは無いとはいえ、あまりにもモータースポーツを舐めた様な行動を繰り返していると、トヨタのブランドイメージはいよいよ失墜します。今回の件に関して言えば、経営判断としては正しくとも、その程度の覚悟しかないのであれば富士スピードウェイの買収からして名乗りを上げるべきではありませんでした。

ル・マン、WRC、チャンプカーに続いて、遂にはF1にも糞をぶっかけたトヨタ。こうして、トヨタ陣営の思惑とは裏腹に、ますます「トヨタのモータースポーツのDNAは、ホンダとは全然違う」という論が説得力を以て厚みを増して行く訳です。業界に曰く「ホンダにはファンがいるが、トヨタには常連しかいない」と言われる所以、モータースポーツに関心のある層の少なくない割合を敵に回して、やはりトヨタには語るべき文化はありません。

改めて富士スピードウェイでの開催を振り返ってみても、2007年は論外として、成功裏に終わったという2008年も、バスの待機や舗装の完備などインフラ面での改善は認められるものの、実際には前年の運営が酷すぎて観戦を控えた観客が多く、収容制限と合わせて動員数に余裕が生まれた結果、無用な混乱が避けられたという側面が大きい。今回の一件は、初回開催とセットで「ああ、やっぱりトヨタだな」を実感する出来事として、モータースポーツファンの脳裏に刻まれることでしょう。そして、名誉回復の機会が訪れることは当分無さそうです。

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