2010年08月19日 (木)

「仮面ライダーディケイド」回顧録

世間では「仮面ライダーW」がそろそろ最終回を迎える様子。「侍戦隊シンケンジャー」と「仮面ライダーW」だけは最後まで視聴したかったなぁ。生井亜実さんのお色気っぷりをもっと拝みたかった。我が家の地デジ対応がもう一年早かったら……そう思わずにはいられませんが、こればかりは巡り合わせなので仕方の無いことです。それに合わせて───という訳ではありませんが、丁度ネタも尽きていたところなので、ここは一つ、仮面ライダー関係の草稿を発掘しておこうではありませんか。自身の思考整理と備忘録も兼ねて、本エントリは「Summary of 2009 - 仮面ライダーディケイド」として投稿される予定だった散文と、同じくディケイドカブト編のデッドストックを再編成した縮小再生産系エントリとなります。

仮面ライダーディケイド - 俺たちの戦いはこれからだ!

平成ライダー10周年記念作品「仮面ライダーディケイド」もいよいよ最終回を迎えました。が、事前の噂通り、TV版の最終回では中途半端にストーリーが終わり、“本当の最終回”は12月12日公開の劇場版で───となった模様。カブト編&響鬼編をピークに、例年にない盛り上がりとなった前半戦に比べ、“間延び感”と“映画への繋ぎ感”が露骨になったネガの世界以降はただでさえ低調なエピソードが多く、散漫な印象を与えながらも消化不良の感が否めなかったので、よほど好意的に解釈しない限り、あの幕引きは有り得ません。全ての謎に合理的な回答が得られるとは思っていませんが、劇場版に続くこと自体はともかく、「TV版はTV版で区切りを付けるべき」という注文はあって然るべきでしょう。

物語としては、結局、これまで士達が巡ってきた世界は「正史(オリジナル / 一次創作)」に対する「偽史(レプリカ / 二次創作)」であったというオチ。仲間との絆も、スーパーアポロガイストを打倒した仲間との共闘も、全ては所詮「偽史」の中の出来事でしかなかった、という帰結です。そこに「正史」の“剣崎”と“渡”が登場し、対決の図式は「オリジナル vs レプリカ」というメタ視点のテーマへ。物語の最後の焦点が「士の旅に意味はあったのか=偽史に意義はあったのか」という構図に落とし込まれることで、そこに「オリジナル vs レプリカ」というイデオロギー対決が生まれ、結果的に「オリジナル」と「レプリカ」の中間=グレーゾーンに位置する「仮面ライダーディケイド」という作品の特殊性が際立つシナリオとなっています。

総評としては、お祭り企画としての使命は全うしており、満足度の高い作品であったことは間違いありませんが、こと最終回に至っては酷いの一言。「視聴者の期待」なんてものは真っ先に切り捨てられるものだということを改めて思い知らされたので、正直、絶望する元気もありません。しかし、ディケイドそのものは万能素材なので、来年以降のライダーにひょっこり顔を出しても違和感が無く、制作サイドとしては随分おいしいキャラクターを手に入れたなぁ、という印象です。個人的には、「仮面ライダーディケイド」が無ければ一旦ライダーをお休みしてメタルヒーローに行っても良いかな、と思っていた矢先なので、この作品のお陰で、平成仮面ライダーシリーズの寿命も幾分先延ばしされたのではないでしょうか。ただ、コラボレーションツールが出来た事実は大きいものの、商売っ気が強過ぎて作品としての創造性には欠けます。私自身はどちらかと言うと「オリジナル」主義なので、この先、ディケイドという名の振り子が電王路線に傾倒することがあれば、その時は仮面ライダーを卒業することに躊躇は覚えないでしょう。

仮面ライダーディケイド - カブト編を終えて

“昆虫”をモチーフにしたメカニック系正統派デザインのライダーと、同じく“バグ”をモチーフにした怪人との戦いが描かれた平成ライダー第7弾「仮面ライダーカブト」。最強のライダーとして君臨するカブトがパワフルにエピソードを牽引しつつ、それぞれの運命を背負ったライダー達は、地球外生物ワームとの激しい戦いに身を投じて行きました。

主人公・天道総司役の水嶋ヒロを始め、放映後に躍進を遂げた俳優が多数出演していることでも知られるカブト。仮面ライダー生誕35周年記念番組と銘打たれ、“昆虫”をモチーフに石ノ森章太郎を見据えたギミックを多数盛り込んだ番組は、原点回帰とも王道とも言える作りで、平成ライダーの集大成を目指した威信作です。クロックアップによる超高速戦闘と、ライダーバトルの多さ、キャストオフなどの豊富な仕掛けを用いた特撮描写がウリで、ライダー同士の因縁と錯綜する展開が話題を集めました。シリアスなストーリーの間に挟まれる不条理なギャグやエモーショナルな演出、技巧を駆使したプロフェッショナルな殺陣やCGを多用したスタイリッシュな戦闘など多くの見所がありましたが、一級の素材を揃えながらもプロットは紆余曲折し、終盤へ向けて次第に話が破綻していった感のある実に惜しい作品でした。

愛すべき凡作としての評価を甘んじて受け入れなければならないカブトの、ある意味では、大人の事情に泣かされた原作(オリジナル)へのリベンジでもあるカブトの世界は───

ワームの速度に対抗するため、ZECTはマスクドライダーシステムを開発した。だが、そのクロックアップ機能が暴走し、高速度の世界から戻れなくなったカブト。そんな彼は、いつしか伝説と化し、見えない脅威として市民に恐れられるようにさえなっていた。一方、自分に擬態したワームを追う士は、ある少女と、おばあちゃんに出会う……

仮面ライダーディケイド 第16話 警告:カブト暴走中|東映[テレビ]

結論から言えば、16話〜17話に掛けてのディケイドカブト編、付け加えればその後の18話〜19話のディケイド響鬼編は、「仮面ライダーディケイド」の回顧録エピソードの中では飛び抜けて出来が良かったと思います。玩具展開の前後関係を考えると、当初はディケイドカブト編が平成ライダーシリーズのトリを務める予定だった様ですが、結果的に順序が入れ替わったことで、「仮面ライダーディケイド」としてのエピソードの連綿に厚みが増すと共に、スマートでまとまりの良い流れが出来上がっているので、OAの構成は正解だったと思います。

さて、本作の“リ・イマジネーション”には毎回裏テーマが設けられていますが、ディケイドカブト編の裏テーマは「最強のカブト、クロックアップへの対抗」。今回のディケイドは、vsワームのクロックアップには反射神経が向上するクウガ・ペガサスフォームで、vsザビーには10秒間だけ高速移動が可能となる555アクセルフォームで対抗。ライダー好きなら一度は妄想するであろうシチュエーションを動く映像で見られるのがディケイドの醍醐味の一つ。相手が天道カブトであればもっと良かったのは確かですが、それでもカブト好きを自称する一人として、クロックアップ vs アクセルフォームという夢の対決に心が踊らない訳がありません。陰影が深く艶っぽい画面構成など、オリジナルを意識した映像表現の質の高さもポイントです。

一方、ディケイドカブト編のシナリオは、サイボーグ009の「結晶時間(凍った時間)」にインスパイアされています。加速状態というのは、ただ空間を高速に移動出来るというだけではなく、別の物理法則に身を置くこと。人から見えないのは勿論、逆に人に何かを伝えることも出来ません。加速装置が暴走しゴーストとなったカブトは、人との関係を絶たれ、それでも一人、孤独な戦いを続けています。

カブトが見えないカブトの世界───「クロックアップの世界でただ一人、孤独に世界を守り続ける」という舞台設定には堪らなく哀愁が漂っていて、石ノ森ヒーローらしい叙情とセンチメンタリズムに溢れています。反面、オリジナルのテーマの一つが「俺が変われば世界が変わる」であったのに対して、ディケイドカブト編でのテーマは「変わらないこと」。近似した世界観、オリジナル本編にあってもおかしくないストーリーの中で、対極のテーマを打ち出した様に見えます。また、オリジナルでは「絶望の中で見える光」というテーマも作品の重要な骨子でしたが、ディケイドカブト編ではソウジがユマを守る理由は「兄弟愛、家族愛」だけに絞られています。しかし、2話という限られた“リ・イマジネーション”の中にオリジナルのエッセンスを注ぎ込むには、シンプルで伝わり易い“機転”が必要。ディケイドカブト編ではこれらの“機転”が尽く奏功し、オリジナルの良いところを凝縮し、まるで「そばにいない時はもっとそばにいる」を体言したかの様な名エピソードに仕上がりました。

改めてこの2話を振り返ってみると、オリジナルの世界観は一にも二にも天道ありきだったので、まず、その「天道を出さない」というのが上手かった。そして、「クロックアップを封じられたカブト」という物珍しさ。ゼクター、キャストオフ、クロックアップと、オリジナルの背景描写はきっちり押さえているし、ワームの特徴も活かしている。これ即ち、オリジナルにあった強烈なキャラクター性を消して設定だけで勝負しているのだけど、それだけで充分に面白いし楽しい。ストーリーも演出もちゃんと「仮面ライダーカブト」していて良かったですが、中でもカブト本来の旨味を余すこと無く、巧みにまとめ上げて見せた古怒田健志脚本は大きな収穫だったと思います。

仮面ライダーディケイド - カブト編総評

ムードやシチュエーションの娯楽性に重きが置かれたそもそもの「仮面ライダーカブト」というのは、天道総司を中心とした人間同士の会話シーンでは、ギャグや人情描写がてんこ盛りでイキイキとしているのに、一度マスクドライダーの戦闘シーンともなればそれはもうひたすらにスタイリッシュで、それこそギャグなんか言っていたら光速のビジョンを見逃してしまうほどの唐突な展開と、そのギャップが最高だった作品です。

今回のディケイドカブト編には、「仮面ライダーカブト」は戦闘に拘った作品、という主張が如実に表れていたと思います。例えば、ディケイド電王 vs ザビー&ガタックでのワンシーン。ディケイド電王が決め台詞で啖呵を切った時のゼクト陣営の反応は、どうしたらいいのか分からないもどかしさとイライラでかなり鬱屈した表情を見せていました。正直、あのシーンを見て「電王しつこいなぁ」くらいのことは思っていて、最初はウンザリもしたものですが、逆にそれほどカブトの戦闘というのは、無駄を削ぎ落とした純粋な“戦闘”だったんだなぁ、と再確認出来る貴重な場面でもあります。容易には表現出来ないあの肉弾戦の感覚……何と言うのか「戦い」という感じのプロの殺陣。戦闘中に無駄な動きがほとんどないので、本当に洗練された達人同士のバトルに見える訳です。やはり、カブトを見るなら戦闘シーンを堪能してナンボ、そして、ディケイドカブト編の戦闘シーンは間違いなくカブトのそれでありました。

付け加えるとすれば、カブトが最強だと信じて疑わない私にとっては、冒頭一対三の数的不利にも関わらずディエンド達を圧倒し、他のライダーを地に這わせてみせたシーンでもう満足!海東に捨て台詞まで吐かせているし、クロックアップをしなくても格闘戦で三人を圧倒するカブトに惚れ直しました。

こうして見ると、なんだかんだとカブトは優遇されていますね。ディケイド世界の各地域のライダーの中で、殊更に伝説の存在として描かれ、士も認める人物として表現されたカブトの格の違い。ライダー裁判やライダー学園の様な妙な改変も無く、オリジナルの雰囲気を汲み取りながらも各ライダーに見所があり、クロックアップ描写の有効活用など、設定的にも煮詰められている……これ以上は欲張りだなぁ。強いて言えば、音声シークエンスやゼクターギミックのオミットなど、原作ファンにとっての決定的なこだわりの差である微妙な気配りの足らなさ、こと再現性という点におけるディテールへの妥協感が余計に惜しいということくらい。カブトゼクターの変速機を切り替える様なギミックの“完全再現”と、“Change Beetle!”くらいは聞きたかった。

とはいえ、天道様とは生き方こそ違うものの、ディケイド世界のソウジも紛うことなき天の道を往く男であったし、素直に面白かったと思います。カブト好きで良かったと思える大満足の回でした。

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