2013年03月01日 (金)

PlayStation 4発表

コードネーム“Orbis”と呼ばれる次世代PlayStationの噂は、任天堂、Microsoftといった各陣営の動静や、β開発機を始めとするリーク情報の断片から、長らくその存在が真しやかに語られていましたが、遂に次世代コンピュータエンタテインメントシステム【PlayStation 4】として正式に発表されることとなりました。

Logo:PlayStation 4

かつて久夛良木氏が「将来、プレイステーションは特定のハードを介した体験に縛られることなく、ネットワークの向こう側に溶け込む」的なことを語っていた記憶がありますが、今回のプレスイベントPlayStation Meeting 2013では、SCEの目指す方向性はプレイステーションの父が構想したビジョンにまさに接近しているという印象を持ったので、コンソールゲーム機PlayStationとしてのリリースはPS4が最後になるかもしれない、という可能性は割とリアリティを持って感じられました。

ただ、商品というものは商売上必要なら出す、必要ないなら出さない、と乱暴に言ってしまえばそれ以上でも以下でもないので、ソニーの台所事情に関係なく商機にPS4が登場するであろうことは確実視する以外に何ら疑いようもなく、当然のことだと思っていたので、2013年2月20日を待つより以前から、あれこれと妄想は逡巡しておりました。とはいえ、PS4は未だ筐体すらお披露目されていない段階で、何せ全貌が明らかになっておらず、新たな情報がもたらされる度に思考の振り子は激しく揺り戻されるので、とりあえず、PlayStation Meeting 2013を前後して取り留めもなく垂れ流していた雑感の足跡を、その振り幅のままに長々と備忘録しておきます。

前段

まずは、次世代PlayStationがCellを捨て、新たにAMDを採用するのではないか、という噂が現実味を帯び始めた頃。

この頃は、ゲハ系ゴシップは論外としても、質的にはそれと大差ない自称アナリストが妄言を吐き散らしていた段階なので、それを肴に妄想する以外にやりようがなく、従って、考えることは明快でした。即ち、PS3に根差した価値観でもって「PS4は本気でAMDなのだろうか」「PS4が本当にPS3互換を捨てるとすれば、それは最悪の自滅の道だと思うけどなぁ」ということ。

理屈は単純で、何度目かのゲーム熱リバイバルと、nasneと、torneと、ホームシアターと、オーディオと───今の自分がそれだけPS3に依存していることの裏返しであり、不安、不満、フラストレーションの現れであります。

というのも、Cellを捨てるということは、PS3ゲームの後方互換は勿論、専用周辺機器から、優れた映像再生能力と音楽再生能力、AV機器としてのパフォーマンスまで、アーキテクチャに依拠した遺産を全て放棄するということ。

マルチプラットホームが主流の現在、Cellアーキテクチャの特殊性を考えると、PCとの融通性やコスト配分についてはデベロッパーからの突き上げがあるので、開発環境については色々と思惑があるのでしょう。が、それでも個人的にはCellを継続すべきという考えで、“コンソールならでは”、“差別化”という部分でも、「劣化PCと何が違うの?」という有象無象のXbox路線に進むべきではないと、それよりもAV家電メーカーとしてのカラーをより明示的に盛り込むべきだというのが持論でした(それが茨の道だとしても、誰もがその特色を体験できるような形でユーザーを取り込むこと、その為のバックアップにこそソニーの技術力は投資されるべきだと)。

何故ならば、

  • 愚直に家庭用ゲーム一筋の、たかが専用機されどゲーム機路線を邁進する玩具メーカーとしての任天堂
  • エレクトロニクスメーカーらしい味付けを施した高級マルチメディア路線で、総合AV機器としてのテクノロジーを提供するソニー
  • ソフトウェアメーカーらしいPCとの融合路線で、セットトップボックスによるホームネットワークの覇権を標榜するMicrosoft

という三竦みこそがゲーム市場における理想的な住み分けだと確信していたからに他なりません。ゼロからのスタートならいざ知らず、これまでに培ってきたノウハウの蓄積を捨ててまで、PC互換のアーキテクチャになってもいいことなんてないと思うんだ。

そういう意味では、久夛良木氏のPS3路線は、究極の理想としては大筋で間違っていなかったと思うんですよ。失策だったのは、市場の声に負けてスペックを妥協したことと、当初の構想をマスプロダクトレベルでは完全に実現できなかったことだけで(とは言ってもそれが致命的だったんですけどね)。

正直、自分は今のSCEという企業があまり好きではなく、特に、SCEJや彼我の提供するサービスに対する不満などは酷く日常的に垂れ流している状態。しかし、私にも似非ゲーマーとしての矜持や嗜好はあって、それは宗教としてのプライオリティにあらず、まず第一義にゲーマーなのだ。私はPlayStation Worldと呼ばれるプラットホームの、ひいてはSCEのゲームが好きだからPS3を遊んでいるのであって、別に企業体、組織としてのSCEに愛着がないからと言って、サービスに不満があるからと言って、それがPlayStationを買わなかったり、ましてや破棄する理由にはならない。

実際のところ、当のソニーもそれを見越して、ユーザーの依存体質と健忘症を見透かして、「どうせ彼らはすぐ忘れるし、餌をチラつかせれば喜んで飛びついてくる。ちょろいちょろい」と、各種のコンフリクトについては軽く見積もっている節があるのが嫌らしい。半分は図星、がしかし、PS3のレガシーを切り捨てるのは今の自分にとっては存外深刻だぞ、ということは押さえておきたい。PS2時分にも似たようなことを嘯いていた気はしますが、PSNに多大な個人情報と電子資産が結び付き、AV機器としての側面が日常生活に浸透してしまっているPS3では、若干ニュアンスが異なるのも事実でしょう。

まあ、例えば価格比、世代比でのCellの直線番長ぶり、チートっぷりの恩恵とされている高速BD再生、映像アップコンバート、音声アップサンプリング、高品位ディザ&ノイズリダクションといったAV機能、或いはナスネットルネなんかも含めて、少なくとも今PS3でドライブできているパフォーマンスが最低限移植再現できるのであれば、仮にもCellには拘泥しないこともない。いずれにしても、昨今のソニーのアレっぷり + 平井体制下での変革過渡期を迎えていることを考えると、「流石にそれは有り得ないだろう」ということが普通に有り得るので生きて行ける気がしない、というのがこの時点での感想でした。

前夜祭

以前からゲーム専門メディアやコミュニティでは当たり前のように推測されていた事柄を一般マスコミも報じるようになったこの時期、こうして改めて内容を俯瞰してみると、結構中途半端なマシンになりそうな気がしないでもないPS4。4K2K対応も含めて、元々が高望みできる状況ではないけれど、「まあ無難だね」となるか「盛大なズコー」となるかは五分五分な印象。

PlayStation Meeting 2013

そのまんまでキター。遂にPS4発表。ひねた名称を付けず、直球で【PlayStation 4】として来たのは良い(【PS Vita】とか意味が分からなかったので───ライトユーザー、というかミーハー層向けには、“PSP2”としなかったことにも、後継市場のブランディング失敗、世代交代失敗の一因があるんじゃないかなぁ)。ただ、ロゴはこのままで行くのだろうか。なんか代わり映えしなくてつまらない。PSのアイコンは、PLAYSTATION 3初期のようなカラーメタリックに戻さないかなぁとも妄想していたのだけど。

さて、基調講演は、FacebookやUstといったソーシャルメディアとの連携をアピールし、カジュアル層との接点を意識したスタートを切るものの、核心はゲームが好きな人、ゲームが好きで開発している人へ向けた強力なメッセージ。コアなコミットメントをネットワークで接続し、ゲームとのタッチポイントを増やすことで、より深く、より楽しめる遊びの場としての、最善のマルチディメンションを創造すること。コアゲーマーたちの交流の場と、その為のツールの提供を約束するPSNに、より柔軟で応答性の高いビジネスモデルを、従来の体験軸に加えて新たに盛り込むこと。例えばそれは、Gaikaiの技術を取り入れた高速なゲーミングネットワークであり。

一方、ハードウェアはデベロッパー中心主義が貫かれ、開発者がより良いゲームを作る為のことを考えて、開発環境が整えられている。クリエイターがイメージしている世界を具現化する為の手助けをよりイージーに───そこには、従来のマシンパワーで道理を押し切るようなある意味豪快で、ある意味傲慢な印象はなく、その分、PS4という世界をよりフェアに、フラットに構築できそうな手応えを感じます。PSNを増幅装置として、ゲームを遊ぶモチベーションの源泉を高めることが、やがてはライトユーザーへの訴求にも繋がる、かもしれない……そんなエコノミーや一種のポジティブスパイラルを生む為のきっかけとなる、最初の歯車の噛み合わせが期待できそうな予感。デベロッパーに対して新しいゲームが生まれる基盤を作ったことで、それがひいては新しいユーザー体験の土壌にも結び付いてくる、そんなイメージです。

しかし、PS3に比べると時代の流れを感じます。APU + GDDR5ということで、GPGPUがシステムと綺麗に融合される設計、メインメモリとグラフィックメモリの共有化というのは特徴的なアーキテクチャではあるものの、CPUパワー任せのPS3と、CPU、GPU、メモリをバランスよく積んで柔軟性を持たせたPS4とでは設計思想の違いが明白で、ついついノスタルジックに思いを馳せてしまいます。

承前、アーキテクチャはPCベースのスーパーチャージャーということで、AV機器としてはどうなるか分からないのだけど、ゲーム機としては想像以上にハイスペックであったし、特にGDDR5を8GB搭載というのは、長らくメモリが弱点と言われ続けて来たPlayStationにしては頑張った方なのではないでしょうか。しかし、ここで肝心なのはSCEがスペックアピールに終始しなかったこと。開発難易度とユーザビリティに配慮した作りで、快適性を第一に考慮したシンプル&エレガントなバランスに特化する、というアナウンスに個人的には好感を持ちました。具体的にサスペンド・レジューム対応などは、その最たるものの一つでしょうか(スマホやタブレットの当たり前が、ようやく据え置き機の世界に)。

即ち、SNSを介した購入前の体験や、プレイ映像のリアルタイム共有、リモートプレイ───どれもが想定の範疇を超えるものではないけれど、それをどこまで快適に実現できるかがPS4の肝であり、ゲーム機の“面倒臭さ”“大変さ”をシンプル&エレガントなバランスの上で解決する為に特化したハードウェアとサービスを用意する、というのがPS4の趣旨でありコンセプト。

裏を返せば、高い技術はスペック自慢の為にあるのではなく、人が如何に楽しむかの為にあるということ。それは本来、表立って脚光を浴びる仕事ではなく、裏方は裏方としての働きを全うしつつ、ユーザーはただ気持ちよく楽しめば良い。それがシンプル&エレガントというキーワードが示唆する答えの一つ。だから、一見ハードウェア面でのサプライズは無いようでいて、技術屋の本懐に立ち返ったような、表には現れない部分での興味深いカスタマイズの痕跡がそこには伺えます。つまり、今回はLSIの勝負でなく、「似たような汎用デバイスでどれだけ別の機械にするか」の勝負であり、その視点で見ると実は色々やっているんだよ、ということ。

どんなゲームを作ろうと、どんなハードを用意しようと、結局、最後は人の可処分時間をどこまで奪えるか、という点に尽きるので、故に、1日24時間という有限な資源をどこまでPlayStationに振り向けてもらえるか、PS4にはその為の努力と投資を行う準備があると理解しました。

祭りの後

さて、PlayStation Meeting 2013から一晩明けて、一気に不安がより戻して来ている昨今。基本的に謎が多過ぎるPS4なのだけど、クラウドでの後方互換確保と言ったってGaikaiのテクノロジーも魔法じゃないんだから、という部分であったり、その後方互換においてはPS3のDL資産さえ引き継げない(可能性がある)というのは「おいおい……」というか、PSNとはなんだったのか感であったり。

この色々と無茶してるなぁ感が、またクッタリに転ぶのか、それともウルトラCに転ぶのか。あまり希望的な観測は持てないかなぁというのが現状認識。

繰り返しになりますが、今世代機におけるSCEの態度や姿勢は決して好ましいものではないし、デベロッパーに対してもユーザーに対しても、課題や問題というよりは、いつ爆発してもおかしくない爆弾を抱え込んでいるようなものだと、私自身は考えているんですね。PS3のアーキテクチャやスペックに寄るものというよりは、主にマーケティングであったり、PSNの設計や運用上の不味さに批難が集中している感はありますが、単純にサービスとその質、内容に関しては落第点だし、アフターケアも不十分。割と本気で「携帯機から撤退して、据え置き機にリソースを集中させろ」と何度訴えたことか。

が、仮にここでもし「PS4も中途半端であまり魅力を感じない」と結論付けられたとしても、自分はPlayStationのゲームが遊びたいから(据え置きハードとしての)PSxを買っているのであって、だから多分、きっとPS4も買うのだろうし。SCEファーストなりセカンドなりは勿論、サードパーティによるバラエティ豊かな性格と品質、それらを包含するパッケージが一堂に会することで形成されるPlayStation Worldという世界観、それらが提供するPSx上でのユーザー体験とその機会が他で代替できない内は、ね。

夢を語らなくなったSCEに価値はないけれど、かといって任天堂には魅力を感じないジレンマ───最後にそう書こうと思ったのだけど、正直、今は幾らか夢を見させて貰っている。大言壮語を「何処まで実現できるか」というのはまた別の話ではあるのだけど、将来的にPS1~PS4までの全てのゲームが様々なデバイスで遊べるようになる未来が来るかもしれない、というのは素直に楽しみであるし、言っていることのスケールがデカイのは良い。でも、だからこそ、久夛良木氏は技術者としても経営者としてもプライドが高過ぎたのだろうけど、ああいう人こそ今のSCEに(ひいてはソニーに)は必要だったよなぁと思ったり思わなかったりクッタリ。

なんというしょうもないオチであろうか(`ェ´)ピャー

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