2016年01月05日 (火)

オーディオと二重盲検法

今この時に思うこと、考えること、よく分からないあんなことやこんなこと、自分の中のモヤモヤの断片をアウトプットして、素朴な思考回路を整理・確認しながらカビ臭いシナプスに新たな課題を接続する輪廻系ポエム、ポエマー、ポエメストダイアリー。

二重盲検法とは───

二重盲検法(にじゅうもうけんほう、英: Double blind test)とは、特に医学の試験・研究で、実施している薬や治療法などの性質を、医師(観察者)からも患者からも不明にして行う方法である。プラセボ効果や観察者バイアスの影響を防ぐ意味がある。この考え方は一般的な科学的方法としても重要であり、人間を対象とする心理学、社会科学や法医学などにも応用されている。

二重盲検法 - Wikipedia

こと宗教的な観念論が語られがちで、現実に魑魅魍魎が跋扈する魔窟である(ピュア)オーディオの世界においては、科学的な視点と論拠を提示する二重盲検法は一つの手段である、というのは前提として。

一方で、古来よりのネット界隈での応酬を眺めていると、中にはメーカーが技術と資源を投入したモノ作りとしての工業製品にまで見境なくケチを付けている輩も稀によく散見される。まるでそれが全てを説き伏せる印籠のように、それさえ言っておけば議論の中身に関係なく対象を一方的に完全論破した気になれるフレーズとして、もはやこの「二重盲検法」という言葉自体がイデオロギーを帯びた快感マジックワードに見えてしまうのが本日の病気。

オーディオというのは、本質的に「好きな音楽を如何に気持ち良く、楽しく聴くか」を実現する為に存在するギミックだと個人的には思うので、例えば、自分のような「人生に音楽が必要」な類いの人種は、それこそ同じ楽曲を何百、何千、何万回と繰り返し聴くことだってある訳です。

仮に、それだけ馴染みのあるサウンドになってくると、ある種の皮膚感覚として身体に音楽が染み付いているので、相応の環境と聴覚があれば“変化”には敏感に反応します。音の良し悪しではなく“変化”ですよ、勿論、音とはプラセボでありバイアスなので、気候や体調やその日の気分によってさえ厳密に内容は変わりますけどね。しかしながら、優越感ゲームやマウンティングの印籠として出されがちな二重盲検法のコンテキストは、そういった本来の音楽趣味をブーストする為の装置である出自を無視したところで、何の意味があるのかなぁと思うことがあったりなかったり。

科学的な根拠を否定している訳ではなく、ただ、この手の人たちは「デジタル」を過信しているのではないかと。そりゃ理屈では劣化も欠損もしないのがデジタル信号ですけど、空気の振動ってある意味アナログなものですし、実際には人の手を介して組み上げられた機械でD/A変換を噛ました音を再生するのがオーディオなので、果たして工作精度の閾値であるとか、本来のデジタルな仕組みを実現する為のコストって、実はべらぼうじゃないかい?と。

それと、どうにももにょるのは、オカルト発見器として有効な検証法であることとは区別した話として、例えば、ランダムに抽選された素材では覚束ない足元でも、自分の知っているあの曲なら明らかに傾向が違っているのが分かる、という気付き(立脚点)だって本来はあるはずじゃないですか。「好きな音楽を如何に気持ち良く、楽しく聴くか」ってそういうことでしょ、音楽趣味って別に無菌室で培養実験してるんじゃないんだからさ。平等な条件下で多数のサンプルを得ることが難しい為、二重盲検法自体がオーディオに不向きである、といういわゆる統計上の偽陰性の問題もありますしね。

だから、文脈を弁えない二重盲検法万能説には懐疑的な今日この頃です。科学も用法用量を守って正しく使いましょうということですね。

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