2017年05月21日 (日)

フレームアームズ・ガール

"ただの販促アニメだったはずなのに名作"問題でお馴染みのTVアニメ版フレームアームズ・ガール。製作委員会を設けないコトブキヤ直轄の作品です。

ハイコンプロのフォローを切り上げて以来、ホビー関連の商品にはとんと疎くなっているので、原作であるフレームアームズも、そこからの擬人化派生展開であるFAガールも寡聞にして存じ上げませんでしたが、気付けば不思議な魅力を放つアニメの世界の虜になっていた今作。

現在、第7話までのOAを終了しており、ある種のボス格と目される最新型のフレズヴェルクが登場したことで物語は後半戦へと差し掛かっています。主題歌もいいし、絵もいいし、なかなか具体的にどこがどう面白いと説明することが難しい作品なのですが、と言っても、左様のボス戦にしても、恐らくシリアスにはなりそうもないゆるふわな雰囲気がたまりません。その辺は、既にそれぞれのキャラクターにファンがいるシリーズなので、特定の悪役を生まないように、暗い展開にならないように製作陣も気を遣っているようです。

TVアニメ「FAガール」、川口監督&コトブキヤスタッフ対談 - アキバ総研

して、TVアニメ版フレームアームズ・ガールの魅力とはなんぞやと。一つには、懐かしさと安心感を覚えるようなテンプレ的、或いは王道的な演出が挙げられます。劇中では"昭和臭"とも呼称されていますね。

最初はビルドファイターズや武装神姫など、近年この分野で目立った作品のいいとこ取りをした(パクった)作品なのかなとも思ったのですが、事はそう単純ではなく、コトブキヤの本拠地である立川市を舞台にしながら、例えば主要な購買層の観測範囲であるとか、下手をすれば当該の世代そのもののカルチャーですら追い付けないようなモチーフをパロディとして取り込み、それ自体がアイデンティティにまで昇華されるレベルでの文脈の多様さというか。ある意味、本質的な意味でのコメディに忠実な作品と言えるかもしれません。

もう一つには、3DCGで動くポケットサイズのFAガールが愛らしいこと。一昔前の自分では考えられないことですが、本作ではむしろ手描きの2Dよりも3DCGの方に惹かれているくらいなので、異なる技術表現が同居する描写の垣根にも違和感はありません。そこはプラモデル素体であればこそ、といった部分があるかもしれませんね。

語弊があるといけませんが、彼女たちの愛嬌は、例えば、まるで本当にFAガールという存在がすぐ側にいて、人と寄り添って暮らしているような、言わばペットのような可愛らしさ。轟雷は忠犬、迅雷は番犬、その他の猫勢───のような見方もできますね。

ネットでは「ウチの轟雷は動いてもくれないし喋ってもくれない」「コトブキヤのFAガールには妖精さんが入っていない」などといった悲嘆の声も聞かれましたが、それこそ初代ビルドファイターズのように、思わず「(プラモデルが作りたくなる)」「(FAガールを迎え入れたくなる)」というのは、恐ろしく優秀で正しい販促アニメであることの証左でもあります。

その枠組みに大きく寄与しているのが、現時点までに唯一人間の登場人物である主人公・源内あおと、コトブキニッパーの分身である寿武希子の存在。けものフレンズのサーバルちゃんとはまた違った角度からある種の慈母である彼女らの立ち居振る舞いが、FAガールのキャッキャウフフな日常と作品自体の世界観を大きく拡張しているという意味では、他の類似作品にはない本作ならではの特徴と言えるかもしれません。

そして、最も肝要なのは、それらを引っ括めて、監督・脚本以下、製作スタッフの愛情がしっかりと伝わってくること。その作品に愛があるかどうかというのは、作品に対する(ひいては視聴者に対する)誠実さとも言い換えることが出来るかもしれません。この飽和と瓦解の時代に、アニメ業界も色々と難しい局面を迎えていますが、やはり何時の時代にも、ファンと真摯に向き合える作品というのは大事にしていきたい。精神論ではなく、もの作りとしての矜持って大切。

追記1(2017.06.20)

意外にも終盤はフレズの暴走から全員共闘への王道展開。"あおに出会わなかったもう一人の轟雷"でもあるフレズの気勢すら受け止める慈母の抱擁とシリアスタッチの"溜め"描写が最終回での大団円を予感させましたが───。

一先ずMXの最終話(1/3巡目)を終えて。ちょっと初見では整理の付かない謎回感に困惑気味。きっと2度3度、繰り返し見直すことで見えてくるものもあるのでしょうが......正直、この結末はあかんかったと思います。確かにあおと轟雷との絆は特別なものでしたが、あおと他のメンバーとの絆もまたこの12話を通して育まれたものであったはず。轟雷にしても、武希子、管理人、ニー太郎をも含めて皆大好きだと吐露していた矢先、あれだけ寂しがっていたスティ子にしたって、バーゼにしたって、望んで招き入れた訳ではない別れ。

あおの傍らにはFAガールたち7人の部屋があり、決戦を経て無事フレズも合流。FA社からは特大アンペアのブレーカーも届き、さあ、これからだという時に、何故、あんな唐突な展開で別離を選択しなければならなかったのか。ふらいんぐうぃっちのように、ただただ、そこにいつまでも変わらない"キャッキャウフフな日常"が続いていて欲しかった。サブタイトル「君に贈るもの」が何を指しているのかは理解できますし、「俺が、俺たちが(特別な)マスターだ!」ということですから、第2期へのフラグ≒ファンサービスも含めてコトブキヤ的にはやりたいことをやりきった結果なのでしょうが、皮肉にも、それがある種の販促アニメの限界をも示唆してしまったのかもしれませんね。

追記2(2017.06.21)

BS11組(2/3巡目)も終了。俯瞰的な視点も織り交ぜつつ、かなり気持ちの余裕を持って楽しむことができた今回、裏を返せば、それだけ初見時はショックが大きかった模様。"あおファミリー"とでも言うべきFAガールたちの繋がり、世界観には自分でも驚くほど入れ込んでいたので、その綻びの反動が上記のような(ネガティブな)反応となって現れたのでしょう。

例えば、これがあともう一話あって、フレズ合流後の日常回をもたっぷりやった上で、最後の最後に旅立ちを演出するならまた随分と印象は違ったと思うんですよ。まあ、敢えてそうならなかったのもFAガールらしいと言えばらしいのかもしれません。何せ、コトブキニッパーのダイレクトマーケティングから始まった作品ですしね。

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