2012年12月10日 (月)

Sennheiser HD800 Unlimited

さて、私にとって2012年最大のエポックメイキングな出来事といえば、これは間違いなくHD800を購入したこと。

元々、我が家には父親が揃えたトリオのステレオレコードセットがあったりしたので、Audio/Visualに対する"こだわり"といった点での素養はその時点で醸成されていた部分があったのかもしれませんが、まあ、時代は変わり、住居も変わり、現在の住まいはスピーカーをガンガンに鳴らせる環境ではないので、そういう意味では、あらゆる音声が発せられるものの出口として日頃から常用していたヘッドホンについて、それがやがて趣味の一つとして質を高める、極める方向へと傾倒して行ったのは必然でありましょう。身の丈に合った、しかし、一品物のオーディオ環境を見出す旅路も、そろそろいい具合に落ち着いて来た頃合いなのではないでしょうか。

ということで、本年のトリを飾るのはHD800。2012年を象徴するAV機器の活躍ぶりを、我が至高のヘッドホンの備忘録をもって〆としたい。恐らく、日々の気付きをその都度書き殴って行くと永遠に終わることがないと思うので、とりあえずHD800の散発的なエントリ群についてはこれで打ち止めの予定です。

参考

第4弾にして最終報告となるHD800レポート。過去の散文は以下を参照のこと。

して、持続的なエージングの作用は引き続き、経過は良好。おいそれとは手が出せない高級機とはいえ、置物にして飾っていたら、それこそハイエンドヘッドホンの名が泣く。道具は使ってナンボ、ましてや、ゼンハイザー本社のマイスターが骨身を惜しまず注いだ熟練の技に応えられるくらい、思う存分に使い倒してやらなければ意味がないのだ───と、HD800を嗜む以上はそれくらいの意気込みで("力み"や"気負い"とは全く別のものですよ。どちらかといえば、日々の食卓に感謝する"いただきます"くらいの気持ちです)。

謹製ハンドメイドのヘッドホンが、ネット、テレビ、ゲーム、オーディオと、あらゆる音源に対して惜しげもない性能を遺憾なく発揮してみせる中で、年も明ける頃には、間もなく駆動時間は大台である500時間を超えるくらいでありましょう。かなりのハイペースぶりですが、それほど、一度聴き始めると心地良さから抜け出せないのだからしょうがない。

中間報告:経過目安400時間

それに掛かる話でもあるのですが、最近しみじみと感じるのは、HD800は一度頭に着けてしまえば(誇張なく)それこそ何時間でも聴いていられるのだけど、そこに至るまでが若干遠いな、ということ。物理的な重量も含めて、基本的に重厚長大というか、ヘビーなんですよ、HD800の存在感って。HD800アーマーを蒸着するまでに「うんしょ」と気合いを入れてよっぽど重い腰を上げないといけないので、そういう意味ではHD598のような手軽さはないよね───と。

というのも、やっぱりパッと着けて、適当に聴いたらまたほっぽり出して、というのが造作もなく出来るあの手軽さは異常なんですよ、HD598は。「装着感が良い」というのは何も着け心地だけの話じゃないな、と実感する日々です。そこが面白いんですけどね、まさに色とりどり、製品とりどりの世界です。

その流れで更に突っ込んだ話をすると、実はHD700も装着感については評判が良く、それはむしろHD598の上位版といった文脈にあるという。デザインやイヤーパッドの形状などは明らかにHD800直系のギミックを継承していながらHD598の文脈にあるというのは、私はそれを手軽さだと解釈していますが、加えて音質はと言うと、HD700は平均して80~90点、HD800、HD650などは音源によって合う合わないがあって、モノによっては70点にも120点にもなる、という評価には正直心が揺らぎます。実感としても、HD800とHD650では明らかに重なる部分が異なるので、その隙間を平均して埋める存在、と聞くとHD700にも俄然興味が湧くところ(実際に物欲が湧くかどうかは別の話ですけどね)。

イヤースピーカー

ただ、過去のエントリでも言及したように、HD800は"ちょっとしたイヤースピーカー"なんですよ。大袈裟に言えば、それはヘッドホンの延長線上にその性質を突き詰めた形ではなく、むしろ突き抜けた結果、スピーカーに類型するもの(に近い性格)として、"スピーカーをそのままヘッドホンに落とし込んだ"というニュアンスで捉えた方が自然な領域にまで踏み込んだ、同類項の別種の存在。

脳内評論家の印象としては、境界線はHD800とHD700の間にあると思っていて、即ち、HD700、HD650が極めて上質なヘッドホンだとすれば、それに対するHD800はもはやイヤースピーカーであると。このレイヤーには他にSTAXくらいしか競合する相手がいないと思いますが、HD800やSR-009にニーズとして求められているものは、ある意味、ヘッドホンという概念の超越であり、包括であり。だから、HD800をして、音場、解像度、音色と単純にそれぞれの個性を他の製品と比較することはできても、実際はジャンルとして立脚している場所が異なるので、純粋にヘッドホンの鳴り方を求めている人からすると食い違う部分があるのではないかな、と。

見方を変えれば、そういったニーズを突き詰めたヘッドホンには当然敵わない部分もあるので、噛み砕くと、普段からスピーカーに慣れ親しんでいる人が割合好む、或いは、そのイメージのままに音声をモニタリングする為に使うのがHD800でありSTAX、そんな印象があります。そして、私はドルビーヘッドホンに執着しているくらいなので、HD800が自分の求める音像に平均的に合致しているのだと思います。

NR1601との相性

話を戻すと、HD598→HD650→HD800と渡り歩いてきた中では、やはりドルビーヘッドホンとの相性が抜群にいいのがHD800なんですよね。例えば、直近の新作で、比較的録音レベルの高い坂本真綾のシングルコレクション+ミツバチなんかを聴いていると、空気の層が弾けるようなギターの響き、ハウジングの膜が震えるような重低音シンセサイザーの轟き、イヤースピーカーとしての音響の特性は、より自然な音の広がりと軽快さの中に、"生音"や"振動"、或いは"疾走感"といったフレーズを連想させる迫力のあるディテールを与えていて、拙環境における「唸る、うねる、躍動する」「漲る、迸る」といった表現は、やはりドルビーヘッドホンならではの音場形成が多分に含まれる持ち味でもあり、転じて、HD800は本当に良いヘッドホンだなぁと。DACにもHPAにもしっかりとした投資をしている人からは馬鹿にされそうですが、HD800もNR1601もミツバチも全部褒めています。

それにしても、全体の調和の中で、実にさりげなく優等生的な音色を奏でる低音も、よくよく耳を澄ませば随分と深いところまで出るようになった。まあ、この時期はエアコンなり暖房なりの騒音が少なく、空気が澄んでいるというのも大きいとは思いますが、HD650が「ある程度以下の低音を潔くバッサリと切り捨てていた(その分、量感と質感を高める方向に振っていた)」という寸評がよく理解できる感じ。甘美で濃厚な低音が体温に溶け込んでくるHD650とは多少ニュアンスが異なりますが、健康的で張り艶のある重低音が、独特の撓りをもってズズズンッと体の芯に響いて来る、肉体を揺さぶる感覚は、これはこれでゾクッとします。

そういう部分も含めて、ここ数週間で「完全にHD650を凌駕した」と思える瞬間が何度かあったので、HD800もそろそろ定着してきたかな、と。これはつまり、HD650が120点の音色を出していた分野について、その印象に引っ張られ、引き摺られていた部分がHD800の元に塗り替えられ、払拭された(というと語弊があるかもしれませんが、五感が最適化されたとでも言うべきか)ことを意味しています。まあ、複数本を所有して使い分けることが出来ないオンリーロンリーユーザーとしては、こういったある種の暗示、思い込みも必要でしょうし、そこはご愛嬌ということで。

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